更 紗
更紗の起源はインドで、紀元前にすでにあったといわれています。主に木綿に施された多色染めというのがおおまかな定義です。手描や木版などの技法で染められたインド更紗は、大航海時代を経てヨーロッパ各国の東インド会社を通じて世界中にもたらされ、そのエキゾチックな色とデザインで大変な影響をあたえました。そしてそれをお手本に、各地で独自の技法やデザインによる更紗がつくられるようになったのです。
茜地花唐草文インド更紗敷物(全体拡大画像)
17〜18C 180cm×139cm
典型的な厚手の木綿に施された木版インド更紗で額縁つきの模様です。江戸時代前期末頃に日本に渡来し、裏が付けられ敷物とされています。鮮やかな茜の赤色がインド更紗の特徴です。
当時の日本には木綿に赤を染める技術がなく「血染めの更紗」とまで言われ、有力な大名や茶人達は金銭を問わず手に入れようとしました。特に江戸時代前期頃迄に渡来した更紗を「古渡り更紗」と呼び、現存するものも少なく特に貴重とされています。 |
19C 195cm×106cm
インドネシアの特にジャワ島では、古くより独自のロウケツ染が発達していました。大航海時代を経てインドネシアの玄関口であったジャワ島北岸では、それまでの茶や藍を基調とした伝統的な模様から次第にインド・中国・イスラム・ヨーロッパの影響をうけるようになりました。
この更紗はそのジャワ島北岸で華僑を少し意識した作風でつくられています。手描の細線で柄が少しのズレもなく表裏両面につけられているのが見事です。 |
18〜19C 123cm×119cm
一般に我国で阿蘭陀(オランダ)更紗というのはヨーロッパ更紗の総称です。鎖国期に出島に交易品を運んだのがオランダ船だったことからそう言われるようです。
インド更紗の強烈な茜色に魅せられた人々は、当初インド更紗の模倣に近いものからつくるようになり、だんだんヨーロッパらしいプリントへと発展していきました。この更紗はその過渡期にあたるもので、まだヨーロッパ風にはなりきれていない様子がうかがえます。 |
江戸時代後期 174cm×147cm
日本でできた更紗にもかかわらず見た目、外国の更紗のようです。日本でも当初は諸外国の更紗を模倣したからです。
木綿はインド製の大広巾を用い額縁模様できれいに処理されております。しかしインド更紗のような赤色を出すにはいたっておらず、何枚も型紙を使って薄茶色に摺り込むのが精一杯でした。染料の定着があまく洗えば徐々に色落ちするのが、当時の和更紗の難点でした。
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