古代裂とは?
当店はもともと、「古代裂(こだいぎれ)」商としてスタートしたのが商売の始まりでした。
ではいったい、古代裂とはどういったものなのでしょうか?
古代という言葉から、相当古い染織品だけだと思われがちではありますが・・・
「古代裂」という語句のもつ意味、また今日までどのように利用されてきたかなど、
少しでもご理解いただければと思います。
江戸期までの古い裂地は、「上代(じょうだい)裂」と呼ばれる正倉院裂を中心とした飛鳥、天平時代の裂地。「名物(めいぶつ)裂」と呼ばれる主に宋、元、明といった中国から渡来した絹織物が多い鎌倉、室町時代の裂地。江戸期頃までの裂地を指す「時代(じだい)裂」の三点に分類されます。そしてこれらをすべて包括した総称が「古代裂」なのです。一般的に時代の下限は100年程度経っているもの、すなわち現在においては明治期の中頃までのものを含めて言うようです。
大変遺例の少ない「上代裂」、「名物裂」といった語句は一部の学術研究者や専門家に通じた言葉であまり聞き慣れません。反面、「時代裂」、「古代裂」は広く一般にも用いられ、はっきりとした定義も無いために下限の時代の捉え方が人によって多少違う場合もあります。また今日では、昭和初期頃の裂地までをも含めた「古布(こふ)」という新語も使われるようになりました。
京都には古くより裂地商といわれる店が有りました。掛軸の表装用、お茶・諸道具のお仕覆、帯、小物などさまざまな用途に用いられる大小の裂地を売買しておりました。昔の人々は今までの物にはあきたらない何かを強く求めていたのです。ある人は帯をつぶして刀袋や扇袋に、またある人は着物や打掛けを屏風や襖などにアップリケしました。
何故古代裂はその様な風流人に珍重あるいは貴重視されたのでしょうか。それは古代裂の持つ精緻な技術・品位、草木染などの洗練された感覚あるいは又、うぶな色香・親近感が満ちあふれているからです。風流人は特に時代の経った裂に伝統の良さを、渡り裂(今でいう輸入品)に大胆な図柄・色取りを求め適確に自分達のものにしてきたのです。
「鹿の子餅」明和9年(1772年)より抜粋
古代裂でしゃれた煙草入れをたくさん作り、自慢する男がいた。友人がそんななかの一つを取り上げて興味深げにたずねた。
「この煙草入れの錦(にしき)は、結構な裂のようですな。して、いつごろのもンでしょうね・・・」
男は答えて、
「ああ、これは、木曽義仲と戦った斉藤別当の直垂(ひたたれ)の裂じゃ」
「ではこの蝶の柄が見えるのは」
「富士の裾野の仇(かたき)討ちで知られる曽我五郎が着けていた大口だな」
「白地の裂に赤いところが見えるのは」
「ああ、これかな、牛若丸の袴・・・」
「へエーッ、それにしても、由緒ある古い裂ばかり。さぞ、集めるのに苦労なされたことで」 「うんにゃ、みんな人形師にもらってきた」
(文章・図版共に、京都新聞社提供。図は今様職人尽百人一首より)
煙草入れを作る職人さんの笑い話でした。「古代裂」という語句がいつ頃から使われるようになったのかは存じませんが、この明和9年(1772年)の書物の中には記されており、その頃には既に使われていたことがうかがえます。
裂地は、色々なものに作り変えられ利用されるという性格上、着物や帯といった原形のままで姿を残していくということが多くありません。特に貴重な裂は、曲尺(かねざし)の一寸角を一坪として売買しております。例えば坪10,000円の裂地が官製葉書の大きさ(16.17坪)ございますと、161,700円といったように土地と同じような取引をし、限りなく小さなものまで利用されてきたのでした。
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