中型
 模様を彫り透かした型紙の上から米糊の防染糊をおき、地を染めたあとに糊を落とすという一般的な型染の技法は鎌倉時代頃よりはじまったと言われております。染められた模様の大きさにより「小紋」「中形」「大紋」と区別し、小紋は江戸時代に武家の裃に多く、中形は主に浴衣や夜具地として、大紋は旗や風呂敷などに多く使われました。
 中でも元々がふとんという夜具であった中形木綿をとりあげてみました。



藍地毘沙門亀甲文木綿裂(全体拡大画像)

明治時代 130cm×34cm
 
 江戸時代の中頃、木綿が庶民の衣料として普及すると多様な模様を表現する手段の一つとして、藍染による中形が全国各地に点在する紺屋で染められるようになりました。藍は動物繊維、植物繊維を問わずあらゆる繊維によく染まり、水洗いにも耐え日光にあたってもあまり褪色しないという性質から広く親しまれてきました。
 この中形木綿裂は藍場の多いとてもシンプルなデザインものを選んでみました。



江戸時代末期 127cm×33cm

 この中形木綿裂のように白地に藍で模様が表されたものを「地白」といいます。白地の部分を彫り透かした型紙が必要であるために、藍場の多い模様を染める型紙よりも手の込んだものが要求されるのです。
 型染の発展の立役者ともいえる型紙は良質の薄い手漉き和紙を、漉き目の経緯を交互にして柿渋で張り合わせます。水分の多い糊を使っても狂いがなく、水洗にも強いため繰り返し使えるという利点があります。


明治時代 175cm×33cm

 
 藍染めは、日本に限らず古来より世界中で行われてきました。藍(青)色の色素を持つ様々な植物が、各々の気候風土にに応じて用いられました。日本ではタデ科の「蓼藍」が藍色を染める草として多く使われ、多種多様な模様を染め出してきました。
 
この木綿裂は藍色以外に和更紗の技法を併用して、紅殻や群青といった顔料を摺り込み色料の幅を広げようという試みがなされています。



明治時代 182cm×33cm
 
 この木綿裂のように染を重ねることによって藍は白に近い気品ある薄青から、黒と見違えるような濃い藍色までそれぞれに美しい色相が使われています。日本人ほどこのような藍の豊富な色相を生かしきった民族はなく、かつて諸外国から日本を訪れた人々は、この藍の色を「ジャパン・ブルー」と呼んで賞賛しました。
 
しかし今となっては、化学染料の導入や急激な生活環境の変化のもとに衰退していくばかりです。

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