和更紗
 江戸時代インド更紗に刺激され、日本でもその模造更紗が作られるようになったのが始まりでした。しかし当時の日本にはインド更紗の特色である赤を出す茜の染料がなく、技法をそのまままねることができませんでした。そこで日本独自の型染の技法を応用、型紙を使用し顔料や染料を摺り込み大量生産する方法が行われました。
 
生産の中心地であった京都、堺、長崎、鍋島の更紗をご紹介致します。



白地石畳文様更紗風呂敷(全体拡大画像)

江戸時代後期 104cm×95cm
 
 1645年に刊行された文献によると、京都山城の特産として「シャムロゾメ」が記されている。シャム(現在のタイ)向けのインド更紗をそう呼んだことから当時すでに京都で模造更紗が作られていたことがうかがえます。
 大広巾の木綿に染められたこの更紗も、京都で作られた模造更紗の典型的な例の一つです。石畳の中の模様はすべて古渡り更紗から模したことがよくわかります。



江戸時代後期 58cm×63cm

 河内木綿の産地をひかえ、古くから貿易港として栄え様々な染織品が運び込まれた大坂の堺でも、まずはインド更紗の模造から始まったとされています。そして次第に日本の伝統的な模様、大花や唐草といった型染ならではの模様も作られるようになりました。
 広巾の木綿に四天王寺、天保山、西御堂、四ツ橋といった大坂名所を表したこの堺更紗は、それまでにない斬新な模様構成を目指したものです。


江戸時代後期 80cm×92cm

 
 江戸時代の貿易港である長崎では、天明年間(1781〜89)に更紗を作り始めたとされている。更紗が輸入されるありさまを見ていた長崎出島の唐人紺屋で始められたともいわれ、人物文様や中国系の影響の強い模様が多いのが特徴的です。
 
この更紗のように、やや茶色がかった赤色の蘇芳を裂の周りに塗る作風も長崎更紗には多く見られます。前出の風呂敷と同様、茶道具や軸物の箱包みなどに使われました。



江戸時代後期 19cm×26cm
 
 佐賀鍋島では藩の保護のもと、鍋島焼などにならぶ特産品として更紗が作られた。他地方の和更紗とは少し技法が異なり、墨線だけは木版を用いるのが特徴で独特の渋い色調を表す。藩の御用品としての製作であったため現存するものが極めて少ない。
 
この更紗も鍋島のものと断定はできないのだが、逸翁美術館に伝わる土屋家伝来の鍋島更紗にこれと同じ型を用いて染められたものがあることから推測できる。

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