丹波布
 丹波布(たんばふ)は明治末期頃まで、丹波国佐治村(現在の兵庫県氷上郡青垣町佐治)の農家によって盛んに織られた縞木綿です。木綿の織物の緯糸に絹のつまみ糸を交織し、色目は藍、茶、緑の濃淡に白を含めた四色の見事な組み合わせによって織られた美しい縞織物です。元々「縞貫」や「佐治木綿」と呼ばれ、明治末期には途絶えていたものを戦後になって「丹波布」と称して復元されるようになりました。


茶地に藍格子丹波布(全体拡大画像)

江戸時代後期 157cm×33cm
 
 丹波国佐治村はその昔、但馬・播磨方面から京へ入る京街道の宿駅として賑わっていました。丹波布は、文政年間(1818〜30)頃に播州木綿の影響を受けて織りはじめられたと考えられています。古くから養蚕地であったことから、屑繭からの絹糸と木綿糸を混用して織られたのがはじまりで、当時この地では「縞貫(しまぬき)」と呼んでいました。



江戸時代後期 164cm×34.5cm

 藍、茶、緑の濃淡に白を含めた四色の見事な組み合わせによって織られた丹波布は、「佐治木綿」という名で京都方面へも売られていました。京都の街では着物(丹前)や蒲団表などに用いられていたようです。この布が持つ経糸と緯糸の織りなす美しい縞柄が多くの人々に親しまれていたのでした。


江戸時代後期 93.5cm×31.5cm

 
 丹波布の最大の特徴は、独特の肌触りと草木染めによる風合いがあげられます。この地の山や野から採れる藍、栗の皮、こぶな草、山楊、榛の木といった天然染料で先染めした手紡ぎの木綿糸と、同じく手紡ぎの絹のつまみ糸を手織で織りなす。独特の美しさやふくよかさ、そしてなごやかさが秘められているのです。



江戸時代後期 144cm×33cm
 
 約80年程、織られていた丹波布も明治末期には機械織機に押されて衰退しました。再び丹波布が脚光を浴びるのは昭和の初め、日本民芸館創設者の柳宗悦が京都の朝市で素朴な縞織物を発見したことからでした。柳氏は工芸芸術家の上村六郎氏にそのルーツを探るべく研究を依頼した所、それが佐治木綿だとわかったのです。戦後になって「丹波布」と称して復元されるようになりました。


▲今昔美術館TOPページに戻る