日本の染織の歴史
2(友禅染)
権力者と庶民とに大きく分けられた、社会階層の違いによる服装の変遷に着目した染織の歴史、その後もより華やかさを増した小袖意匠が町人主導のもと展開されていくのですが、こうした中、友禅染という画期的な加飾技法が完成されるのでした。町方女性の多くはいち早くこの新しい技法の虜となって、一斉にこれを用いるようになるのです。
このような「友禅染」を日本の染織の歴史のお話の続きも兼ねてご覧いただければと思います。
江戸時代中期 88cm×86.5cm
紫の部分には紅花と藍で蝶の文様に匹田絞りを施し、水浅葱の部分には友禅染で蔦の葉を描く。もともとは小袖であったものを袱紗に仕立て直したもので、雲取りの柄行が見事に連続していることから背の部分を取ったものと思われる。墨の描絵で葉の虫食いを表わしている点は、辻が花を彷彿させる。
このように友禅染が出始めた時こそ、寛文以来の伝統的な構図をとるものもありましたが、やがて友禅染の持つ技法的な特徴を生かすため、モチーフの選択にも工夫が凝らされるようになるのです。
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江戸時代中期 108cm×49.5cm
「友禅染」の名称は、江戸時代前期から中期にかけて活躍した扇面画を得意とする絵師、宮崎友禅に由来する。当時の文献には、友禅の描くところの扇は都人の垂涎の的であったと記されており、その盛行のほどが伺える。
この友禅扇の流行は、それまで染織界とは無縁であった友禅を小袖意匠制作の現場へと導く契機となった。貞享4年(1687年)刊「女用訓蒙図彙」の序文には、扇絵の作画で名を成した友禅が、小袖文様のデザインに手を染めたところ、これもまた大好評であった旨が記されている。 |
江戸時代後期
紅麻の生地を藍、萌黄、紅で石畳に染め分け十種以上の宝尽し文様を表わす。このように絵を描くような自由さで、様々な文様を多彩に染め上げることができるのが友禅染の特色と言える。
次第に上流町方女性達がこだわっていったものは、「寛文文様」に見られたような特徴的な構図ではなく、文様をいかに表現するかということでした。糸目糊を使用した細かな防染と引き染め法による多彩な色使いがひとつになって、今までに無い華やかでかつ細やかな意匠表現を可能にしたのです。 |
江戸時代後期 43.5cm×39.5cm
これはもともとから掛袱紗としてできたものであるが、このように友禅染の技術的挑戦が頂点に達すると、絵画のような文様も現われてくるのでした。絵画的主題を繊維に表わすということを最重視するようになったのです。
薄手の浅葱縮緬地に大蛤の中に竜宮城を描く。昔は大蛤が吐く息から、蜃気楼が現れると考えられていました。海上にぼんやりと浮き上がって見える空中楼閣こそ、見えないはずの竜宮城。浦島太郎がもてなされたお伽草子で有名な竜神の棲むという深海の底にある城である。
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