阿蘭陀更紗
 阿蘭陀更紗とはヨーロッパ各国で作られた更紗の総称です。江戸時代、長崎出島での交易が許された阿蘭陀船がもたらしたということからそう呼ばれるようですが、現在ではヨーロッパ更紗と呼ぶのが一般的です。ヨーロッパでも同様にインド更紗の影響を受け、その模倣からそして次第に独自のものへと発展していくのでした。


白地縞に矢花文様更紗裂(全体拡大画像)

18C 63cm×84.5cm
 
 15世紀からの大航海時代の幕開けによってヨーロッパへインド更紗がもたらされると、それまで羊毛や麻、絹しか知らなかった人々は丈夫で保温性に富んだ木綿布に多彩な色柄が付けられた更紗に大変興味を持ちました。17世紀の初めにはフランスのマルセイユでインド人などの技術者が迎えられ、木綿布を輸入して更紗の生産が行われるようになりました。
 このように初期の更紗は、技法的には木版や手描によって一見インドのものとは変わらない模造更紗が作られていました。



18〜19C 78cm×77.5cm

 しかしフランスではその人気が高まるにつれて木綿の輸入が拡大し、インドとの貿易不均衡から外貨が不足するといった輸入超過に悩んでいました。さらには国内の毛織物業者の突き上げもあり、1660年以後フランス政府は、インド更紗の輸入と国内での生産を、一部を除いて禁止する条例を出したのです。それによってフランスの更紗職人はスイス、オランダ、イギリスなどに職場を求めて分散し、フランス以外の地でも更紗が盛んに作られるようになりました。


18〜19C 82cm×78cm

 
 18世紀に至るとイギリスから産業革命の嵐が吹き荒れて、更紗も大量に生産されるようになる。技法的にも生産への対応から銅版のエッチング、ローラー捺染、シルクスクリーンと技術改良が進められ、フランス・ジュイのオーベルカンプの工場やイギリスのマンチェスター、スコットランドなどで工業的な大量生産の時代へと移っていった。またさらに、ウィリアム・モリスのような、有能な芸術家のデザインなども取り入れられて、今日のいわゆるファッションプリントの基礎が築かれたのでした。



18〜19C 73cm×34.7cm
 
 阿蘭陀更紗であるのにもかかわらず、この更紗の中では梅、桜、牡丹、菊などいかにも親近感を感じさせる草花がたくさん見受けられる。この頃ヨーロッパで流行ったシノワズリー(中国風趣味)の影響を受けたものである。
 
これらヨーロッパ各地で作られた更紗は、日本にも19世紀初頭の文化文政の頃には長崎出島に出入りするオランダ船によって大量に輸入されるようになり、それまでのインド更紗をしのぐようになりました。

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